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「二つの故郷」

江川 洋


(旧)満州国関東州大連市に暮らしていた私たち親子5人「父、母、私(6歳)、弟(奏、3才)、弟(護、1才)」に対して、日本への引き揚げ命令が出たのが、昭和22年2月22日(土)(西暦1947年)の早朝だった。私たち文字通りの難民一家は、着の身着のままで、厳しいながらも優しい中国兵の検閲から逃れながら、大連の港より貨物船に乗せられて長崎県の佐世保港に上陸した後、JRにて父の実家である、佐賀県唐津市にお世話になることで、運よくその後の歴史をつないだと言えるのである。「第一の故郷中国大連」「第二の故郷日本佐賀浜崎」。今から思うと、70年以上も昔の出来事だけど、二つの故郷の人々の、わたしたち一家に大変優しかったことを思い出してならないのである。時代は変わっても、二つの故郷の人々の幸せを、祈ってやまない。世界の人類の平和は目前に来ている。コロナ何ぞに邪魔させないで、自分の手で掴もう。今年の卒業生の前途に栄光あれ!


《两个故乡》

江川 洋


昭和22年(公元1947年)2月22日(星期六)一大早,当时生活在旧满洲国关东州大连市的我们一家5口,父亲、母亲、我(6岁)、二弟(奏,3岁)、三弟(護,1岁),接到了遣返回日本的命令。我们一家是实实在在的难民,一贫如洗,逃过了严厉而又温情的中国士兵的检查,从大连港登上货轮来到长崎县佐世保港,然后经铁路回到了父亲的老家,落户在佐贺县唐津市。可以说这件事幸运地把我在两国的生活连接在了一起。对我来说,“第一故乡是中国大连”、“第二故乡是日本佐贺浜崎村”。回想起来,虽然已经是70多年前的事了,可我依然可以清晰地记起两个故乡的人们对我们一家的真情关照。时光流逝,改变不了我对两个故乡的人们的祝福之心。世界的人类和平已经来到了眼前。不要让新冠病毒成为障碍,让我们亲手把握住和平的契机。愿今年的毕业生们前程辉煌似锦。


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